梅毒治療に伴うNicolau 症候群―臀部への筋注は注意―

梅毒治療に伴うNicolau 症候群―臀部への筋注は注意―

 日本中で梅毒が増加しています。梅毒の主な感染経路は性的な接触で、キスや性行為などで感染が広がります。潜伏期間でも感染者の粘膜や傷のある皮膚に直接触れると感染することがあります。感染増加の原因として避妊具を用いない性行為が感染のリスクを高めますが、このコロナ禍のなかでインターネットを通じた不特定の人との性行為の増加も背景にあると考えられています。
下のグラフは2013年1週から2022年52週までの梅毒届け出数です(赤線は平均)

文献1)より転載

男性同性間、男性異性間、女性すべてにおいて増加しているのが解ります。
以下のグラフは都道府県別届け出数で上位10件を示しています。

文献1)より転載

 都会での発生が多いことが解ります。
梅毒は the great imitator(偽装の達人)といわれます。自然に良くなったり、悪化したり、変幻自在な病態をとる本疾患において,典型例はむしろ少なく診断は非常に難しいと言えます。感染症であるため病原体の検出が重要であることは無論ですが、検体採取が難しく、かつ梅毒PCRは保険収載がなく実臨床で使用されることはなく、その診断の拠り所は surrogate markerである血液中の抗体検査に頼るしかありません。近年、梅毒の検査手技が変化し、その検査結果解釈に変化が生じています。従来の希釈倍率法(用手的検査)から自動化法へ移行している施設が多くあります。自動化法では①TP抗体がより早期に陽性となる、②治療効果判定は「RPR1/4以下」から「RPR半分以下」に変更が必要です。そのため希釈倍率法で「RPR陰性かつTP陽性は梅毒治癒後」と判断していたものを、自動化法では「RPR陰性かつTP陽性は早期梅毒の可能性」と考え、患者の臨床症状を踏まえて治療を検討するようになりました2)
 ペニシリンに対する耐性は梅毒にはなくペニシリンが第一選択です。梅毒は1回の分裂に要する時間が30~33時間と長く、抗菌薬の殺菌濃度を長くする必要があります。海外における標準治療の持続型の筋注ペニシリン製剤のベンジルペニシリンベンザチン水和物:Benzylpenicillin Benzathine Hydrate:ステルイズ®水性懸濁筋注60万単位シリンジと240万単位シリンジが2022年1月日本でも使用できるようになりました。これまで日本では内服のamoxicillinでのみ治療してきましたがもう一つの選択肢ができました。

文献3)より転載

BPG筋注製剤は
<適応症> 梅毒(神経梅毒を除く)
用法及び用量       成人及び13歳以上の小児:
<早期梅毒>
通常、ベンジルペニシリンとして240万単位を単回、筋肉内に注射する。
<後期梅毒>
通常、ベンジルペニシリンとして1回240万単位を週に1回、計3回、筋肉内に注射する。
 本剤は深部筋肉内投与のみに使用し、隣接した部位も含め静脈内(他の静注液内に混注する場合も含む)、動脈内及び神経近傍への投与は行わないこと(これらの部位への投与により永続的な神経障害があらわれるおそれがある。また、静脈内投与による心肺停止及び死亡が報告されている)。
 本剤は臀部の上外側四分円(背側臀部)内又は中臀筋部の上部に深部筋肉内投与すること。前外側大腿への本剤の繰り返し投与による大腿四頭筋線維化や大腿四頭筋萎縮が報告されているため前外側大腿への投与は推奨しない。新生児、幼児又は小児への投与は大腿中央の外側面が望ましい。また、繰り返し投与する場合は注射部位を変更すること。
 本剤は粘性が高いため、18ゲージの注射針を用い、針が詰まらないよう、ゆっくりと一定速度で注射すること。注射針を刺入したとき、激痛やしびれ等を訴えたり、血液の逆流をみた場合は直ちに針を抜き、部位をかえて注射すること。と添付文書に記載があります。

文献4)より転載

 殿部への筋肉内注射では、筋が発達して厚みがあり、神経の損傷、血管への針の刺入を防ぎやすい部位として中殿筋に注射することが推奨されています。

https://tsumugu-shiatsu.com/suprapiriform-and-infrapiriform-foramen/より転載

 佐藤らの遺体を用いた検討では中殿筋への筋注を行い、上殿神経への損傷が認められたと報告しています。また、体格や肥満度で中殿筋に至る深さが大きく異なり、浅すぎると皮下注射になる可能性もあったそうです4)。不適切な臀部への注射でおこる合併症はNicolau症候群と呼ばれています。Nicolau症候群は臀部への筋注後に突然、激しい痛みと皮膚反応がおこる病態で、原因はよくわかっていませんが神経損傷や血管内への薬剤注入が考えられています。薬剤としてはNSAIDS(特にdicrofenac)とペニシリンが多く、この両者で約半数を占めます。原因薬剤はその他多数報告されています。ステロイド剤、ビタミン剤、麻酔剤などです。注射時に激しい痛みを生じ、数時間で注射局所の皮膚発赤が出現し、数日後には壊死と潰瘍を生じます。25%の症例では注射部位以外のところ、例えば手指や大腿に潰瘍が出現し、4.5%が死の転帰をとると報告されています。治療は特別なものはなく、デブリードメンや筋膜切除などが行われますが治療期間は数か月に及ぶそうです。予防は適切な部位と深さによる筋肉注射しかないそうです。
 近年、臀部への筋肉注射への機会が少なくなり、その手技に習熟した医療従事者は少ないと思われます。梅毒の治療薬であるステルイズを使用する場合、Nicolau 症候群を念頭に置き慎重に投与するべきです。

令和5年2月16日
菊池中央病院  中川 義久

参考文献

1)国立感染症研究所
https://www.niid.go.jp/niid/images/epi/syphilis/2022q4/syphilis2022q4.pdf
2)梅毒の増加止まらず!新しい検査法と治療薬
3)井戸田 一郎:急増する梅毒に対していま何をすべきか . 梅毒の攻略 . 内科 2022 ; 130 ; 1137 – 1142 .
4)佐藤 好恵ら:殿部への筋肉内注射部位の選択方法に関する検討 . 日本看護研究学会雑誌 2005 ; 28 ; 45 – 52 .
5)Paria Mojarrad1 et al : Nicolau Syndrome: A Review of Case Studies . Pharmaceutical Sciences, 2022, 28(1), 27-38 doi:10.34172/PS.2021.32
https://ps.tbzmed.ac.ir