オミクロン株が重症化しにくいのはTMPRSS2の変異か?

オミクロン株が重症化しにくいのはTMPRSS2の変異か?

 SARS-CoV2には、主にふたつの異なる細胞侵入経路があります。ひとつはTMPRSS2 (Transmembrane protease, serine 2、II型膜貫通型セリンプロテアーゼ)と呼ばれるたんぱく質分解酵素を介して細胞の表面から侵入する経路。もうひとつは宿主細胞が外部の物質を細胞内に取り込む食作用を介して細胞内小胞(エンドソーム)として内部に侵入する経路です。

 文献1)より転載。SARS-CoV2は細胞表面のACE2レセプターにくっつきます。そして生体の細胞表面にあるTMPRSS2を利用して消化~開裂を受け細胞内に侵入していきます。
 ウイルスはエンドソーム内にあるカテプシンと呼ばれるたんぱく質分解酵素の働きで細胞内に侵入します。従来株は肺に多く分布するTMPRSS2経由で細胞表面から優先的に侵入していましたが、オミクロン株はTMPRSS2経由を利用できずに、エンドソーム経由で融合する方向に侵入経路がシフトしていると報告されました1)。だからオミクロン株はTMPRSS2が多く発現する肺のなかで感染することは少なく、TMPRSS2があまり発現しない上気道(喉や鼻)でより多く発見されるというものです。たしかに現在の感染者の症状は肺炎の症状である咳や呼吸困難を訴える人が少なく、喉の痛みを訴える人が多いです。
 ウイルスは感染する動物の種類、臓器または細胞を選り好みします。この性質はウイルスのトロピズムと呼ばれています。ウイルスのトロピズムを規定している最も分かりやすい例は受容体です。ウイルスは、受容体のある細胞に感染し、受容体の無い細胞には感染できません。ウイルスは受容体にくっついて、生体のもつ蛋白分解酵素でもって分解~開裂され中のRNAやDNAが生体内の細胞内にばらまかれ増殖することができるのです。この蛋白分解酵素のひとつがTMPRSS2です2)。マウスの実験ではTMPRSS2をノックアウトすると従来のコロナ株では明らかに軽症で治癒することが解っており、TMPRSS2はコロナ感染において、生体には不利に働いているようです。自分の蛋白分解酵素でウイルスを分解して感染しやすくしているのです。インフルエンザウイルスもコロナウイルスと同様に感染時にTMPRSS2を利用することが解っており、古くから治療薬の研究がされてきました3)。ちなみに現在までに報告されているTMPRSS2を利用するウイルスは、インフルエンザ、メタニューモ、SARS、ヒトコロナウイルス NL63 です4)。インフルエンザの治療薬として蛋白分解酵素を阻害することでウイルスの侵入を阻害できないか、という発想です。SARS-CoV2が最初に蔓延してきた頃に治療薬として注目された、フサン、フォイパンがそうです。インフルエンザウイルスの動物感染実験ではこれらの薬剤は有効である事が実証されています。しかし、人ではインフルエンザウイルスにはタミフルなどの有効な薬剤があるため有効性は明らかではありませんでした。しかし、タミフルを投与しても重症化した場合などには次の一手として現在使用されています。当初、SARS-CoV2感染症にもフサン、フォイパンは使用されたそうですが明らかな有効性は証明されなかったそうです。
 TMPRSS2 はアンドロゲン応答性遺伝子であり,COVID-19 の男性患者における増悪因子の一つと考えられています。TMPRSS2は肺、腎臓、小腸、精巣などの組織で幅広く発現しています5)。実際、デルタ株の感染で死亡した人の臓器では全身の臓器からウイルスが検出されています。特に肺ではTMPRSS2の発現が多く、ウイルス量も多く、重篤な肺炎を起こしていました。そして、オミクロン株が肺まで到達しにくい理由について、肺の多くの細胞に発現しているTMPRSS2の作用が阻害されるような変異が起きているので肺細胞には感染しにくく、結果的に重症化が抑制されるのだと推測されています。動物実験でもオミクロン株のウイルス複製効率は気管支において従来株やデルタ株の約70倍を示した一方で、肺においては従来株の約1/10でした。オミクロン株はTMPRSS2を利用せずに細胞内に侵入できる経路を利用して人に感染しており、その部位は上気道に多く存在するのでしょう。しかし、肺炎を起こしにくい理由はこれで説明できますが、驚くべき感染のしやすさを説明できるものではありませんし、また、今後、TMPRSS2を利用できるようになる可能性もあるかもしれません。

令和4年1月21日
菊池中央病院  中川 義久

参考文献

1)SARS-CoV-2の変異株B.1.1.529系統(オミクロン株)について(第6報)
https://www.niid.go.jp/niid/ja/2019-ncov/2551-cepr/10900-sars-cov-2-b-1-1-530.html
2)竹田 誠:プロテアーゼ依存性ウイルス病原性発現機構とTMPRSS2 . ウイルス 2019 : 69 ; 61 – 72 . 
3)山谷 睦雄ら:気道上皮プロテアーゼによるインフルエンザウイルスの活性化―治療への応用の可能性― . 日呼吸誌 2016 ; 5 ; 172 – 183 .
4)松山 州徳:プロテアーゼ依存的なコロナウイルス細胞侵入 . ウイルス 2011 ; 61 ; 109 – 116 .
5)中村 史雄ら:特集 COVID-19 SARS-CoV-2 の病態生理 . 東女医大誌 2021 ; 91 ; 11 – 18 .