子宮頸がんワクチン 積極的接種呼びかけの再開めぐる議論開始
接種の積極的な呼びかけが8年以上中止されている子宮頸がんワクチン(以下HPVワクチン)。厚生労働省の専門家部会が呼びかけを再開するかどうか議論を始めました。子宮頸がんは年間約1万人が罹患し、約2,800人が死亡しており、患者数・死亡者数とも近年漸増傾向にあります。特に、他の年齢層に比較して50歳未満の若い世代での罹患の増加が問題となっています。
子宮頸がんの95%以上は、ヒトパピローマウイルス(HPV)というウイルスの感染が原因です。子宮頸部に感染するHPVの感染経路は、性的接触と考えられます。HPVはごくありふれたウイルスで、性交渉の経験がある女性のうち50%~80%は、HPVに感染していると推計されています。性交渉を経験する年頃になれば、男女を問わず、多くの人々がHPVに感染します。そして、そのうち一部の女性が将来高度前がん病変や子宮頸がんを発症することになります。
この発がん性ウイルスの感染予防目的にHPVワクチンが開発されました。2006年に4価のガーダシル、2価のサーバリックスが海外で発売され、本邦では2010年に承認され任意接種の時期を経て2013年4月から国の予防接種法の改正に伴い、性交を経験する前の、小学6年から高校1年生を対象にHPVワクチンの無料定期接種が開始されました。その前後からワクチン接種をうけた女児が奇異な症状に悩まされている実情が報道されるようになりました。手足の疼痛、震えで歩けなくなったり、不登校になったり、四肢を奇異に動かす姿がテレビで繰り返し報道され複合性局所疼痛症候群( CRPS )という言葉がクローズアップされました。これは自律神経障害を伴う慢性疼痛の1種と理解されています。
2013年6月の時点で全国の医療機関から厚生労働省へ副反応として報告された事例は1196例、このうち重篤と判断されたのは106例でした。この間のワクチン接種回数は865万回であり、副反応の発生率は0.01%と決して高いわけではなかったが、報道の過熱ぶりも加わって、これは社会問題化されました。そこで厚生労働省は研究会を設置し、症例を検討しました。その結果、これは看過できないものとして2013年6月にHPVワクチンの積極的な接種勧奨の差し控えを発表しました。以来、8年以上にわたってこの状態が続いているのです1)。積極的に接種を勧める取り組みはしないが、接種を希望する方は定期接種として接種を受けることが可能な状態です。接種の呼びかけを再開するかどうかは判断せず、定期接種になる前に70%以上あった接種率は1%を下回りました。最近の論文ではこのまま子宮頸がんワクチン接種率低下が続くと1994―2004年生まれの女性のうち約2500人が子宮頸がんになり、そのうち500人が亡くなると予想されています2)。
今回の議論の焦点は、接種後に報告された奇怪な症状と、ワクチン接種との因果関係はどうか?ということです。
2017年11月の厚生労働省副作用検討部会の検討では多様な症状とワクチン接種との関連性は否定されており、また報告された多様な症状を呈する人はワクチンを接種しなくても一定数存在し、12~18歳女子では10万人あたり20.4人存在すると報告しました3)。
WHOの検討ではHPVワクチンは世界130ヵ国以上で接種され、特有な副作用は否定されており、各国で接種プログラムに組み込むように繰り返し提唱しています3)。なお、海外ではすでに9つの型のHPVの感染を予防し、90%以上の子宮頸がんを予防すると推定されている9価HPVワクチンが公費接種されており、日本では2020年7月21日に、厚生労働省より製造販売が承認されました3)。以上のように接種勧奨の中止にいたった多様な副作用は現状では否定されています。ワクチンの副作用とされた多様な症状を訴える患者さんからの髄液検査では中枢神経の自己免疫反応の関与が明らかになっていますが、ワクチンとの関連は証明できておりません4)。
以上のようなこれまでの科学的証明により多種の症状とワクチンの関連性は否定され、ワクチン接種の勧奨は再開されるものと思われます。
しかし、それに反対する人たちがいるのもまた事実です。ワクチン有害説を唱える人たちがいるのです。ワクチン有害説とは,「ワクチン接種はヒトにとって有害である」という基本的な考えのもと、社会および個人に対してワクチン接種の危険性を訴える主張の総称です。アンチワクチンや反ワクチンとも呼ばれ、世界的に運動が展開されています5)。彼らの論点は
A: ワクチンを接種するよりも,感染症に自然罹患したほうがよい
B: ワクチン接種によって深刻な副反応が引き起こされる(自閉症など)
C:ワクチンの効果を実感できない
D: 医師や製薬会社の陰謀によって,本来必要のないワクチンを打たされる。
です。
しかし、HPVワクチンに関してABC はいずれも数学的確率で証明されたもので、Dに関しては透明性のある議論と科学で立証され、否定できるものです5)。このような非科学的なワクチン有害説は歴史的には150 年前に種痘予防が本格化したころから既に始まっており、このような運動の基本的な動機は「社会に強制されてワクチンを打たされている」という認識に対する拒否感からくるものとされています5)。
ワクチン有害説の人たち以外にもワクチンに反対する人達が存在します。
HPV ワクチン接種後に多くの症状を訴えた人たちはワクチン推進派の人たちから、詐病扱や精神病扱いされてひどく傷つくことになったのです。さらに、予防接種法の改正により、本来受けられるべき補償も受けられずに係争となっているのです6)。
ノーベル経済学賞を受賞した Daniel Kahneman によると、「人々は病気に自然罹患して死ぬよりも、ワクチンの副反応によって死ぬことを恐れる傾向がある」と述べています。HPVワクチンの接種勧奨はおそらく再開されるでしょうが、丁寧な説明と被害者救済が不可欠でしょう。
令和3年11月12日
菊池中央病院 中川 義久
参考文献
1)木下 朋美:子宮頸がんワクチンの副反応と神経障害. 信州医誌. 2016 ; 64 ; 103 – 111 .
2)笹川 寿之:若年者のHPV感染とワクチン普及の必要性 . 日本感染症学会 東日本学術集会抄録2021 ; pp 74 .
3)尾内 一信:我が国におけるヒトパピローマウイルスワクチンの現状 . ファルマシア 2019 ; 55 ; 1039 – 1043 .
4)高橋 幸利ら:ヒトパピローマウイルス(子宮頸がん)ワクチン接種後にみられる中枢神経系関連症状 . 日本内科学会雑誌 2017 ; 106 ; 1591 – 1597 .
5)山本 輝太郎ら:ワクチン有害説を科学的に評価する . フォルマシア 2019 ; 55 ; 1024 – 1028 .
6)種田博之:HPV ワクチン接種後の有害事象/健康被害をめぐる係争―スティグマの視点よりー . 関西学院大学 先端社会研究所紀要 2021 ; 18 ; 1 – 16 .