狂犬病清浄国の我が国での狂犬病対策
飼い犬に年1回定められている、狂犬病の予防接種率が低迷しています。厚生労働省の統計では30年前にほぼ100%だったのが、近年は約7割に減っています。国内で60年以上発生がないことによる油断などが背景にあるとみられ、専門家の「狂犬病の怖さが伝わっていない」との懸念が報道されました(2024年02月26日(月) 共同通信)。
年1回の接種は1950年に制定された狂犬病予防法で定められており、違反は20万円以下の罰金対象。流行国では犬が主な感染源となっているため、万が一日本に入ってきた際のまん延を防ぐ目的で義務付けられています。
狂犬病は狂犬病ウイルスの感染により起こる致死的な感染症であり、ヒトと動物のどちらも感染・発症する典型的な人獣共通感染症です。世界では毎年59,000 人以上が狂犬病で死亡していると推定されています。狂犬病ウイルスは狂犬病に罹患した動物に咬まれたり、唾液や体液に触れたりして感染し、コウモリを感染源とする場合には咬み痕がはっきりせず、エアロゾルによる感染が疑われる例もあります。ヒト−ヒト感染はほとんどありませんが、非常にまれに臓器移植による狂犬病が報告されています。動物咬傷後、まれに咬傷部に掻痒感を認めることがあるものの、通常は無症状で経過します。その後、発熱、掻痒、知覚過敏、疼痛等の症状が現れる前駆期が2〜7日ほど続いたのち、急性神経症状期に移行します。この期間には発熱に加え、嚥下障害、けいれん、不安、錯乱、幻覚、麻痺等の神経症状が現れます。特に狂犬病に特徴的な症状として、水を飲むことを嫌がる恐水症があります が、これは嚥下の際に咽頭の筋肉がけいれんし苦痛を感じることに起因しています。同様に風や光、音対しても過敏に反応することがあります。これらの神経症状が2〜7日続いたのち、症状が進むと麻痺が全身に及び、低血圧、呼吸不全、不整脈等を伴う昏睡期へと移行し、ほぼ100%のヒトが死亡します。日本は過去60年以上狂犬病の発生がありませんが、世界の150以上の国と地域で発生しており、特にヒトの死亡例が多いのはアジアとアフリカです。また、死亡例の約40%は15歳以下の小児です。
世界の狂犬病原因動物(文献1)より転載)
狂犬病の99%は犬咬傷により発生しますが、アメリカやカナダなどではコウモリ、アライグマ、キツネやスカンクといった野生動物がヒトへの主要な感染源となっており、地域によって気をつけるべき動物は異なっています。
動物の狂犬病ウイルスに対する感受性の違い(文献2)より転載)
動物によっても狂犬病ウイルスに感染しやすいものと、感染しにくいものがあるようです。アメリカでは狂犬病の70%がコウモリからの感染です。近隣諸国のフィリピンでは年間200名をこえるヒトの狂犬病症例が報告されています。中国では1990年代には狂犬病によるヒトの死亡件数は100人程度にまで減少していましたが、ペットブームと飼育放棄の増加によって2007年には3,300件にまで増加しました。現在はワクチン接種や放浪犬の殺処分等によって減少してきているようではあります。また、2013 年には1961年の発生を最後に52年間清浄国と思われていた台湾において、イタチアナグマという野生動物の間で狂犬病が保持されていたことが明らかとなりました。日本においてはこれまでなされていなかった野生動物において今後より積極的な疫学調査の実施が望まれています。
さて、島国である日本に狂犬病が起こるとすると、国内では絶滅したと仮定して、外国からのウイルス侵入しかありえません。まず可能性があるのは、人が外国で感染したのちに帰国する場合です。しかし、狂犬病は人人感染が起きないので感染が蔓延することはないでしょう。第二の狂犬病上陸のシナリオは、動物の輸入狂犬病で、輸入後に狂犬病を発症する場合です。外国では実際、このような報告があり、飛べなくなったコウモリが船に潜み上陸した報告があります。わが国でも、朝鮮半島や湾から島伝いに飛翔するコウモリがいるそうで、その調査も必要でしょう。また、外国船の入港時に船内で飼育しているペット犬の一時的な上陸(輸入の意志のない散歩」であるため、検疫あるいは税関関連の法令の適用外となっている)の際に港湾に放浪している野犬との接触によりウイルスが伝播し、国内に広がってい いく可能性もあります3)。WHOは、狂犬病が流行している国でのワクチン接種による狂犬病の流行阻止効果生率とワクチン接種率から導き出された経験的なものとして、地域に生息する犬の70%以上に狂犬病 ワクチンを接種することにより犬の狂犬病流行を阻止できると報告しています4)。
WHOは我が国のような狂犬病清浄国は狂犬病ウイルス侵入を防ぐため、特定の哺乳類、特に食肉目と翼手目の輸入を禁じたり、その国の獣医部局が許可した方法によってのみ輸入を可能とする措置を講じるべきであるとしています。ペットとして獲得した野生動物における狂犬病事例の増加から、野生動物に関しても規制を強化すべきであるし、サーベイランスを徹底し、狂犬病の侵入をいち早く検出できる体制を整備すべきであるとしています5)。また、もし国内に侵入したとしても蔓延を防ぐために犬の70%以上に狂犬病ワクチンを接種することが重要となるのです。
令和6年3月6日
菊池中央病院 中川 義久
参考文献
1)伊藤 睦代:狂犬病 . Neuroinfection 2020 ; 25 ; 113 – 117 .
2)小澤 義博:世界の野生動物狂犬病の現状と日本の対応策 . 獣医疫学雑誌2013 ; 17 ; 132 – 137 . 3)万年 和明:ラブドウイルス-50年 近くもわが国で発生のない狂犬病の再上陸はあるのか . ウイルス 2002 ; 52 ; 21 – 25 .
4)新井 智ら:ワクチン接種による狂犬病の流行阻止効果 . 日獣会誌 2007 ; 60 ; 377 -382 .
5)山田 章雄:清浄国における狂犬病対策はどうあるべきか . 獣医疫学雑誌 2014 ; 18 ; 1 – 3 .